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「山岳信仰」に見る屋久島の本質と奥深さ<後編>「山をなめてはいけない」という言葉の真意

人気都市・福岡を訪れる人も、福岡に暮らす人も意外と知らないのが「福岡市は離島も近い」こと。福岡を楽しむみなさんにお届けしたい、福岡市内から直行できる離島の魅力を、島に暮らす地元ライターが紹介します。

(取材・文 屋久島ライター 菊池淑廣)

「山をなめてはいけない」という言葉の真意

「トレッキングの聖地」のひとつに数えられる屋久島。屋久島には縄文杉や白谷雲水峡、九州最高峰の宮之浦岳など、多くの登山者を魅了する山やトレッキングコースがたくさんあり、中高年トレッカーから山ガールまで幅広い年代の人たちが登山に訪れています。

一方、屋久島では古くから山岳信仰が浸透していて、島人の山に対する考え方や山との付き合い方、あるいは登山をすることの意味においても、レジャーとしてのそれとは異なる側面を持っています。

今回は、屋久島の精神文化の真髄といっても過言ではない「岳参り(たけまいり)」をレポートした記事の後編をお届けします。(前編はこちらからご覧ください)。

島の神と交わる瞬間

さて、一行は屋久島のてっぺんにして核心でもある宮之浦岳山頂に到着。

「一品宝珠大権現(いっぽんほうじゅだいごんげん)」を祀った祠の前で、いよいよ神事が執り行われます。

所願(ところがん=集落の代表者で、岳参りの責任者)が、集落の人たちから預かった奉納品、里の恵みとしての米、塩、酒(屋久島では、お神酒は日本酒ではなく焼酎を使うのが一般的)、そして海の砂を神に捧げ、祝詞を奏上。

一同も手を合わせ、集落の安全や無病息災、豊漁豊作などを祈願します。

終始冷たい風が吹き付けるなか、滞りなく神事を執り納めたら、各々で屋久島(九州)第二峰の永田岳(ながただけ=1886メートル)を遥拝(=離れたところから拝むこと)し、さらに下山途中で第三峰の栗生岳(くりおだけ=1867メートル)にも参拝します。

屋久島では、これら三つの山を「三岳」と呼び、昔は「三岳参り」と称して三つの山に登拝していたとのこと。それこそが本来的な岳参りのスタイルといえそうです。

そして最後は、標高1640メートルに広がる湿原・花之江河(はなのえごう)の祠にも参拝し、登山口に戻ってきたのは14時前。山岳ガイドの僕でも「速い」と感じるほどハイペースでした。

ソーメンでサカムケ

登山口では、中川さんが参拝者のためにそうめんを用意して待っていてくれました。

ここで「サカムケ」という儀式を行います。中川さんによると、サカムケとは山(聖域)と里(俗域)との境で参拝者を出迎え、労をねぎらうとともに、モノ(今回はそうめん)を食べることで邪神や厄を払い、神々に山へ帰っていただく儀式とのこと。一般的には「坂迎え」という解釈になりそうですが、「境迎え」が転訛したものと考えることもできそうです。

下山直後のそうめんは、実に爽やかでさっぱりとして食べやすく、サカムケにはぴったりのメニューでした。

岳参りの手土産はシャクナゲ

そして麓まで帰り車を降りると、そのままの格好で宮之浦の街中を練り歩き、集落の人たちに無事の下山を報告するとともに、山から持ち帰ったシャクナゲの枝を神社や公民館などにお届けします。

奥岳の霊気をシャクナゲに託し、岳参りの手土産として里に持ち帰るのが古くからの慣わし。

ちなみに本来、シャクナゲの採取は禁止されていますが、このときだけは特別に許可されています。

宮之浦公民館に到着し、区長にシャクナゲの枝をお届けしたら、今度は「マチムケ(待ち迎え)」。

集落を代表して、遥か遠い奥岳まで登ってくれた参拝者に対する感謝と慰労の意を込めて、おはぎと塩らっきょうが振る舞われます。この甘味と塩気のバランスは、疲れた身体に絶妙な癒しを与えてくれます。

サカムケのそうめんもマチムケのおはぎや塩らっきょうも、これらが供される特段の理由は見つけられませんでしたが、いずれも理に適っているのかもしれません。

公民館でひと息いれた後、最後に益救神社へ向かいます。

シャクナゲを奉納し、参拝したらお神酒をいただいて、平成最後の秋季岳参りが無事に執り収められました。

“山をなめてはいけない”という言葉の真意

山の楽しみ方は、人それぞれだと思います。僕にとって屋久島の山は、レジャーとして純粋に楽しむ場であると同時に、山岳ガイドやカメラマンとして仕事をさせていただいている場でもあり、さらには心の拠り所として信仰している対象でもあります。

しかしどんな場合においても、屋久島の山は「神々の住まう場所」であることを意識しながら、山に入らせていただいています。

山と密接に暮らしてきた屋久島の先人たちは、山の恵みを享受しながらも、ときに人間の力の及ばない猛威を振るう自然に恐れおののき、感謝と畏敬の念を抱きながら山と向き合ってきたのだろうと思います。そのなかで、ごく自然と山岳信仰が生まれ、今も脈々と受け継がれているのです。

「山をなめてはいけない」という言葉をよく耳にしますが、この言葉の真意は、こうした山岳信仰の思想にリンクしているものなのだろうと思います。

「パワースポット」という言葉が軽々しく使われる昨今ですが、屋久島がパワースポットといわれる本質は、山岳信仰を背景にした歴史や文化、思想などに根拠があるのかもしれません。

ですので、屋久島で登山を楽しむみなさんにも、こうした島の根底にある思想や文化を心の隅に据えてもらえると嬉しいです。

いつもよりちょっとだけ、謙虚さを携え、そして神妙な心持ちで山へ入ってみると、屋久島の美しい風景を「観て楽しむ」だけではなく、深みのある神秘性を「感じて楽しむ」こともできると思いますよ。